和を以て物語をなす

築100年を数える木造2階建ての民家と蔵からなる瑞雲庵にて、絵画・彫刻・映像インスタレーションという異なる表現でありながら、日本の文化や感性に影響を受け、思考している3名の作家による展覧会を開催いたします。彼らの作品と日本家屋特有の空間が織り成す「和」によって、人それぞれが“ある物語”を想像することができるでしょう。また、参加作家やキュレーター含め、鑑賞者各々が想像した物語を共有する「和」によって、日本特有の美意識や価値観、文化的視点を再考する場となることを目指しています。

<展覧会ステートメント>

この度は、中村 壮志・濱 大二郎・松井 照太の3名による展覧会「和を以て物語をなす」を、経路に従ってご鑑賞いただき、ありがとうございます。皆様それぞれが、日本家屋特有の空間と作品の混じり合いから生まれる物語を自由に想像していただけますと幸いです。
そして、この展覧会のタイトルであり、「和」の要素の一つでもある”共有”として、各々が想像した物語や感想をこの場に居合わせた人たちと話し合っていただけると嬉しいです。
この展覧会のキュレーションを行った私が、最初に展覧会を鑑賞した際に想いを馳せた物語を共有させていただきます。もし、よろしければ後ほど、あなたの物語も教えてください。そこから生まれる新たな視点によって、私の物語も変化していくでしょう。

私の祖父の家の庭には小屋があり、祖父はそこで絵を描いたり、紙や粘土を使って人形や置物を作ることが趣味だった。祖父が作るものを手伝ったり、色を塗ったりするのが、私の遊びだった。その小屋にはたくさんの道具があったが、一つ一つの収納場所が事細かに決まっているほど綺麗に整頓されて大切に使われていた。私がモノを片付けなかったり、粗末に扱っていると、「そんなことをしているとバチがあたるぞ!どこにでも色んな神様がいるんだぞ!」と、怒られていた。私は当時の幼心でも、今でもその言葉にはドキッとさせられ、重く受け止めている。
よく一緒に散歩にも行っていた。その道中、様々なものを観察しながら、のんびり歩いていた。一つ一つ何か気になることを見つけては立ち止まって、草木や虫たちとも会話しているかのようだった。
石を投げたり蹴ったりもしていたが、不思議な美しさを放つものは拾い集め持ち帰ったりもした。その時、この石はどうやってできたんだろうか、と考え、遠い宇宙の果てから地球に降ってきたものなのかと空を見上げると、刻々と変化する雲に目を奪われていた。そよぐ風で私もふわふわと浮かび流されてしまうかのように気持ち良くなっていた。
ひらけた視界の田舎道から遠くに見える山々は巨大な塊のようだったが、近くに行って登っていくと木々や草花、虫、動物たちがいて、山になっていた。山中にある水源地、地面から水が湧き出てきていた。その流れや音は、なんだか心をすっきりさせてくれた。
祖父が共有してくれた自然との寄り添い方は、一粒一粒の小さなエネルギーが壮大な世界を作っていること、その流れが絶えず変化し循環していることを教えてくれた。
私が初めて死というものと向き合ったのは大好きな祖父が亡くなった時だった。もちろん悲しかったし寂しかったが、なぜかすぐに受け入れられた自分がいた。亡くなってからも、今でも祖父は私を見守ってくれていると感じているから。それは霊的な存在というよりも、私たちは自然と共生し、自然に見守られているという祖父が教えてくれたことの中の一部に祖父はいるという感覚があるからだ。

キュレーター 渡邊 賢太郎 (Watanabe Kentaro)

アーティスト
中村壮志 濱 大二郎 松井照太
主催
108 artworks
助成
公益財団法人西枝財団、Art Collaboration Kyoto 実行委員会
会場
瑞雲庵
公式サイト
和を以て物語をなす

Photo by : Masaki Tada