田中信太郎
――意味から遠く離れて
2026.04.25-06.28
19歳になる少し前、日立市から上京した田中信太郎(1940-2019)は、ほどなくして反芸術と称されていたネオ・ダダの活動に参加しました。現代美術家の篠原有司男と行動を共にし、短い熱狂の時間を体験した後、田中は大きく制作の方法を転換させ、ハートの形を援用したり、ネオン管を使用したりしたシンプルな形態を持つ作品を発表し一躍注目されます。この時、デザイナーの倉俣史朗と出会い、倉俣の急逝まで親しく交流します。田中は、制作者の感情から離れたところで表現を成立させようとすることを試み始め、パリ青年ビエンナーレやヴェネチア・ビエンナーレなど数々の海外展にも参加しました。しかし、田中はアトリエを世田谷から日立へと移し、東京の美術界の喧騒から離れ、内省的な制作環境に身を置くことを選択します。
大病を患った後、1985年に再び大きく作風を変えて復帰。作品は色彩豊かになり、平面と立体を組み合わせた複合的な姿をとるようになります。このように田中は同じことを繰り返さず、新たな作品の在り方を提示し続けましたが、常に視ることを基点に美術の本質を探究し続けていたといえるでしょう。
本展覧会では、アトリエに遺された作品を中心に、書き留めた言葉とともに田中信太郎の活動を振り返り、その静寂の奥に潜む創造の謎に迫ります。
- アーティスト
- 田中信太郎
- 主催
- 世田谷美術館(公益財団法人せたがや文化財団)
- 後援
- 世田谷区、世田谷区教育委員会
- 特別協力
- 田中信太郎アトリエ
- 会場
- 世田谷美術館
メインビジュアル写真撮影 : 吉山裕次郎
- 公式図録
- 田中信太郎――意味から遠く離れて展図録




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