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保田龍門

1891年、和歌山県龍門村荒見(現・紀の川市)の農家に5人兄弟の末子として生まれる。本名・重右衛門。1911年、在米の兄勇蔵の進めと援助もあって、東京美術学校の西洋画科に20歳で入学。在学中より二科展に入選し、卒業制作《老婦》が東京美術学校買い上げに、また《母と子》は同年の文展で特選を受賞。日本美術院彫刻部に入り、1918年には第5回院展で樗牛賞を受ける。1919年、徳川頼倫を総裁に、和歌山県出身・東京在住の美術家たちで結成された南紀美術会の発足に参加。
1920年、パリへ向けて渡欧の途上、アメリカに滞在。はじめシアトルに滞在し、写真家たちと交流。兄勇蔵のブドウ園を訪ねた後、東海岸に移り、翌年1月にはニューヨークからパリへと渡った。パリではブールデルに学び、1924年帰国。郷里に西村伊作設計によるアトリエ付き住居を建て、1941年までは院展を発表の舞台としながら制作を続けた。戦後1946年からは大阪市立美術研究所彫刻部で、1953年からは和歌山大学学芸学部(現在の教育学部)で後進の指導にあたる。和歌山県庁や和歌山市の紀陽銀行本店壁彫、1951年より10年以上をかけた名古屋市平和堂の全体計画など、全国各地に多くの公共的作品も残した。

シアトル・マクブライド・スタジオ《ブロンズ像に寄る保田龍門》 :
1920年 ゼラチン・シルバー・プリント 和歌山県立近代美術館蔵(保田春彦氏寄贈)