宇野貞之
広島県に生まれる。1917年、16歳の時に、カリフォルニアの父親のもとに渡る。オークランド高校に通った後、オークランドのカリフォルニア美術工芸学校で奨学金を受けて短期間学んだ。同校でヘンリー杉本と友人となる。ハリウッドで撮影監督として働くことを夢見てニューヨークに移り、ニューヨーク写真研究所に学び、ロングアイランドの写真スタジオで働いた。しかし1920年代後半に父親が病気になったためベイエリアに戻った。アラメダに定住し、室内装飾家として働き、のちに庭師として働きながら絵を描いた。第二次世界大戦中は、まずカリフォルニア州フレズノ集合所に送られ、次にアーカンソー州ジェローム収容所、そしてローワー収容所へと移動した。収容所では、鋭利にしたバターナイフを使って木の彫刻やマスクを作る実験を始めた。宇野が彫刻を手がけたのは収容所内が初めてである。肖像画や風景画など絵も描き、ローワーでは、長年の友人であるヘンリー杉本とともに、収容所内の美術学校の講師も務めた。
- 宇野貞之《ヘンリー杉本のポートレイト》 :
- 1942年 木 和歌山市立博物館(ヘンリー杉本氏寄贈)