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上山鳥城男

和歌山県有田郡鳥屋城村(現・有田川町)に生まれる。小学校卒業後、耐久舎(現在の耐久高校)に入学。父の理解もあって耐久舎を中退し、1908年、19歳で単身アメリカへ渡米。マークホプキンス美術学校、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学に学び、ペンシルべニア美術アカデミーでは、優秀学生に与えられるクレソン奨学金を得て1920年、欧州にも学んだ。
帰国後の1921年にはロサンゼルスで、幸徳死影(幸衛)、上野赤春、岡村眸子鳥らとともに日本人芸術家団体、赫土社を創設、1923年と1927年に展覧会を開催した。1925年にはメキシコを訪れ、リベラの門を叩いている。また1936年に2度目となる自身の個展を開催し、その作品売り上げを資金にして、渡米以来初めて帰郷。病気の父を見舞いつつ、郷里の小学校ではロサンゼルスから持参した作品と故郷で戸外制作した風景画を展示。この滞在中には日本国内を巡り、約1年後にロサンゼルスに戻る。
第二次世界大戦中ははじめサンタアニタ集合所に、その後アマチ収容所に入った。収容所では美術教師として活動。戦後はロサンゼルスへと戻り、1946年には雑貨店「文化堂」を開く。同年には早くも「パレット倶楽部」と名付けた美術家サークルを新たに立ち上げ、その後もロサンゼルスの芸術家コミュニティの中心として活動し、1954年に没した。

上山鳥城男《自画像》 :
1943年 油彩、キャンバス 個人蔵