山崎 つる子
1925年、芦屋市に生まれる。2019年没。
具体美術協会在籍期間:1954-1972
1946年、吉原治良の美術講座を聴講したことを契機に、吉原のアトリエを訪ねて指導を受けた。初期はアルミやブリキを支持体に金属のきらめきを際立たせた制作を精力的に行った。1950年代後半、ミシェル・タピエの助言により支持体をカンヴァスに移行。ストライプ、円形、矩形などさまざまなフォルムを幾層にも重ねて描いた。特に1960年代の作品には余白が見当たらないほど、たくさんのフォルムで画面が埋め尽くされている。色彩は殆どが原色で、一つの作品に何色もの色が使用されている。フォルムと色彩が氾濫する画面はタピエに“コンフュージョン(混乱)”と高く評された。