田中 竜児
1927年、明石市に生まれる。2014年没。
具体美術協会在籍期間:1965-1967
京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)で日本画を学び、1948年には、パンリアル美術協会の結成に参加、三上誠らとともに日本画の革新を目指した。具体の活動を知ったのは1955年、「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」を通じてであるが、そのときすぐに入会したわけではない。白髪一雄の紹介でグタイピナコテカに通い、第15回具体美術展への参加を機に会員となったのは、1965年のことだった。
田中の制作は、日本画という出自によって規定されており、それゆえ具体のなかでは特異な位置を占めている。岩絵具や墨といった画材を用いて描かれる、その茫漠とした形象らしき何かは、日本画の文脈から試みられた、具体美術の実践だったと言えよう。