Artists

ミネ大久保

カリフォルニア州リヴァーサイドに生まれた日系二世。母は東京美術学校を卒業しており、幼少の大久保は母から多くを学んだ。リヴァーサイド・ジュニア・カレッジに学び、奨学金を得てカリフォルニア大学バークレー校に進学。1935年に卒業し、修士課程に進んで美術と人類学を修めた。1938年に奨学金を得て渡欧するが第二次世界大戦が勃発し、また母危篤の知らせも受け、急いで帰国する。西海岸に戻ってからは、WPA(公共事業促進局)の連邦美術計画に参加して、リベラの壁画制作に助手として携わっている。また1940年と41年の2回にわたり、サンフランシスコ美術館で個展を開催した。第二次世界大戦中はタンフォラン集合所からトパーズ収容所に送られたが、収容時から収容期間中のすべての瞬間を記録すべく、数多くのスケッチを残した。収容中の作品がさまざまなメディアから注目され、その結果、『フォーチュン』誌が大久保を採用したことによって収容所から解放、1944年ニューヨークへ移る。1946年、収容所生活を描いた『市民13660』を出版。

ミネ大久保《無題(子を抱く母)》 :
1943年頃 木炭、紙 全米日系人博物館蔵