小野田 實
1937年、旧満州(現中国吉林省)に生まれる。2008年没。
具体美術協会在籍期間:1965-1972
大阪市立美術館付設美術研究所に通っていた頃、「舞台を使用する具体美術展」(1957年)を見て具体のことを知った。その後、しばらくはこの集団との接点を持たなかったが、1965年、元永定正に誘われたことをきっかけに会員となる。
小野田の造形理念は、1961年発表の「繁殖絵画論」に詳しい。アンフォルメル、ならびにアクションペインティングに対して批判的な立場を取る小野田の画面は、無数の「私のマル」でもって埋め尽くされている。支持体上の凹凸に沿って描かれる線と円は、「オートメーション工場において作りだされていく製品」さながらで、それ自体に意味はない。「その膨大な無意味に驚異を発見」することが、小野田の狙いだった。