白髪 一雄
1924年、尼崎市に生まれる。2008年没。
具体美術協会在籍期間:1955-1972
京都市立絵画専門学校で日本画を学んだ後、大阪市立美術研究所に通う。1950年より新制作協会展に出品。1952年に村上三郎、金山明らと「0会」を結成。この頃から油彩の感触の滑らかさを求めて、絵筆によらず手のひらや指、爪で描く事を試み、最終的には足の裏で絵具をのばして描く画法へと到達した。
0会メンバーとして具体美術協会への参加要請を請け、1955年、会員となる。当時は丸太を斧で切りつけたり、大量の泥と格闘する「アクション」が特に海外から注目された。『具体』誌上においては「資質」に着目した論考を続けて発表、制作に対する思考の過程を提示した。
白髪の代名詞となったフット・ペインティングによるタブローは、とりわけ高い評価を得ている。1971年、比叡山延暦寺にて得度。