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日比松三郎

滋賀県坂田郡飯村(現・米原市飯)に生まれる。立命館大学の前身である私立京都法政学校で法学を学ぶ。1906年、20歳でシアトルに渡り、初め英語を学んだのち、サンフランシスコに移って日米新聞等に挿絵や政治漫画を描いた。1919年からカリフォルニア美術学校に学ぶ。のちに助手や教師の時期も含めて1930年まで同校に関わった。この間、学生でもあった久子とは1930年に結婚している。1921年、東西美術協会の設立にあたって、小圃千浦、彦山禎吉とともに中心的な役割を果たす。また日本語新聞紙上では論客として、彦山禎吉や三原色画会を批評した。1933年、ヘイワードに転居し、日系二世を対象とした日本語学校を開いた。
戦時中ははじめタンフォラン集合所に、その後トパーズ収容所に入り、小圃千浦が開いた美術学校をサポートした。小圃が収容所を離れたのちは、美術学校を率いた。戦後はニューヨークへと移り、アメリカ芸術家協会展に出品するが、1947年、ニューヨークで没した。

日比松三郎《無題》 :
1942–45年 油彩、キャンバス 全米日系人博物館蔵