田中 敦子
1932年、大阪市に生まれる。2005年没。
具体美術協会在籍期間:1955-1965
大阪市立美術館付設美術研究所に入所し、金山明、白髪一雄らと出会う。その後京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に入学するも半年ほどで退学し、研究所に復帰した。金山らが結成していた0会に参加するようになり、その後、具体美術協会に加入した。
1950年代、巨大なピンク色の人絹がはためく作品、コラージュや切れ込みを入れた黄色の木綿布、けたたましいベルの音が鳴動する作品、電球や管球が点滅する服状の立体など、実験的な制作をつぎつぎと試み、注目された。電球とコードは、大小の円が無数の線によって繋がれたタブローへと展開し、国内外から高い評価を得た。